田中 幸寿さん
牟岐町漁業協同組合組合長
出羽島部落会会長
島の人びと
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2015.08.24
島長漁業
たなか ゆきとし田中 幸寿さん
牟岐町漁業協同組合組合長 出羽島部落会会長
出羽島出身
一度は島を離れて仕事をしていたが、再び島に戻り現在は出羽島部落会会長兼牟岐町漁業協同組合組合長
ー 一度出羽島を離れられたそうですが、なぜですか?
昔はみんな中学、高校を卒業すると漁師になるか、大きなマグロ船や貨物船に乗って島外へ働きに行っていました。
私も当時は、訓練学校を卒業したあと2年ほど島を離れました。
私は名古屋で家具の製造などをしていましたが、20歳くらいで島に帰ってきてからは建築関係の仕事をしていました。
その後29歳のときに島の一大産業を絶やしたくないという思いから漁業組合に入り、半世紀近く漁業に携わっています。
ー 出羽島部落会長をされていると聞きましたが、就任された経緯を教えてください。
今から約30年前になるかな。
私はもともと部落会の副会長をしていたんですが、当時の会長さんが体を壊してしまって、副会長だった私がその後を引き継いだんです。
ー 最近では島の街並みを重要伝統的建造物群保存地区に登録しようという動きがありますが、どう思いますか?
とてもいいことだと思っていますね。
島には明治から大正にかけて作られた古い家屋や街並みが多く残っています。
人口減少で人が減ったことが良くも悪くも幸いしてか、家の建て替えをする人もあまりいなかったんですね。
最近では調査やワークショップなどで大学生や島外の若者が多くこの出羽島に来てくれています。
自分の孫くらいの子達と話ししたりするのはとても楽しいし刺激にもなるからね。
ー これからこの出羽島をどうしていきたいですか?
昔は1000人前後が暮らしていたこの島も今では約70人ほどの島民しかいません。
この島を後世に残すためにも島民みんな力を合わせて動かなければいけません。
現在牟岐町と協力して古民家を改装し島の拠点になる施設を作る計画を立てています。
島のガイド案内サービスや宿泊施設なんかも計画しています。
一度島を出て行った人にも、もう一度帰ってこようと思えるような島にしていければと思っています。