島のイベント
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2024.06.08
出羽島
──島で木村さんが撮影した写真はすべてが白黒で出羽島を題材にした写真集『TEBAJIMA』で1カ月島に滞在した写真家の木村肇に今回の撮影やプロジェクトに込めた想いを聞きました。率直な想いを語っていただきましたので、ぜひお読みください。(聞き手:篠原匡、編集者、ジャーナリスト、蛙企画代表)
──今回、撮影のために出羽島に1カ月間、滞在してもらいました。島での生活はいかがでしたか?
木村肇(以下、木村):なかなかできない体験で、個人的にはとても面白かったです。お借りした家も、出羽島部落長会の会長を務める田中(幸寿)さんが生まれ育った母屋で快適でした。田中さんの母屋は重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されている出羽島の集落の中で、最も昔の雰囲気を残している建物。歴史的な建物で暮らすのは、とても貴重な体験でした。
──島で木村さんが撮影した写真はすべてが白黒でした。あえて白黒のモノクロームにしたのはなぜでしょうか。
木村:今回の写真集で表現しようと思ったのは、出羽島で人の営みが始まってからの時間の流れや時間の厚みでした。
みなさんもご承知のように、出羽島では高齢化と人口減少が進んでいます。僕が島に滞在していたときもだいぶ人が減っていましたが、1年半ほどが過ぎた今ではさらに島民が減っています。
もちろん、僕も島のコミュニティが続くことを望んでいますが、このままの状況が続けば、5年後、10年後になくなっていてもおかしくありません。出羽島の記憶を遺すという蛙企画さんの趣旨に賛同してプロジェクトに参画しました。
それで白黒の理由ですが、島の記憶をとどめるときに、白黒のほうがシンプルに伝えられるような気がしたんですよね。20代のときにマタギの集落を撮影していたときも白黒でしたが、そのほうが肌の質感や木の感じが伝わるな、と。逆に色があると、色に引っ張られてしまうので。
──色がノイズになる場合は確かにありますよね。
木村:それと、写真に時間性を持たせたくなかったという面もあります。
木村:今回、写真集に載せた写真の中には、今の出羽島の写真もあれば、田中さんに提供いただいた昔の写真も混ざっています。そうしたのは、いつの時代の写真なのか、見る側にも考えてほしいと思ったから。そのときに、色は邪魔になる。
──最初のうちは島の人を普通に撮っていたのに、できあがった写真を見ると、見事に顔だけが写っていません。これがどういう意図なのでしょうか。
木村:プロジェクトが立ち上がった当初、写真集のコンセプトとして「卒業アルバム」というキーワードが出ていたので、黒い背景を作り、その前で島民を撮影するということもやっていました。
ただ、写真を撮っているうちに、顔がないほうがいいと感じたんですよね。なぜかというと、島に滞在している間、島の人にはとてもよくしてもらいましたが、島で暮らす人と僕のような部外者を隔てるものがあると感じました。
もちろん、たかだか1カ月で近い関係になるわけがないのは分かっていますが、島に滞在しながらそう感じたんです。
また、島で暮らし、いろいろな人と話している中で、何とも言えない同調圧力のようなものがあるな、と。例えば、観光のような、もっと違う形で島を繁栄させたいと思っている人がいても、なかなか言い出せないような雰囲気がある。
みんな島がもっと賑やかに、元気になることを望んでいるけれども、その程度には濃淡がある、というような。顔を出さないことで、そんな本当の顔が見えない感じを表現できるのでは、と思いました。
──人を呼ぶやり方はいろいろあると思いますが、一方で島には島の暮らしがあり、その部分を壊されたくないと考える人はやはりいます。それは、何ら問題ではなく、当たり前の感情ですよね。
木村:もう一つ、今回の蛙企画さんのプロジェクトで感じたのは、出羽島が限界集落のロールモデルだということ。今回、出羽島を舞台に写真集を作りましたが、同じような地域はそれこそ日本中にあります。 既に日本で起きていること、そして先進国でもいずれ起きるであろう未来を出羽島が暗示しているのであれば、顔がないほうが自分のことになる可能性がある。そう考えて、途中で顔を入れるのをやめました。島の方々が撮られるのを嫌がったというのもありますけど(笑)。
──木村さんは「記憶」をテーマに活動しています。なぜ記憶にこだわっているのでしょうか。
木村:直接のきっかけは父親の死です。
親父がガンで亡くなった後、親父が飼っていた犬を散歩させているときに、親父の散歩仲間と話す機会が増えました。犬は散歩のコースを覚えていますよね。いつものコースに連れていかれて、父親の散歩仲間に会ったんです。
このときに、散歩仲間が話している父親と、僕が知っていて父親がずいぶんと違うなと感じました。
実は、うちは父親と母親の仲が悪く、母親は父親の悪口ばかりを言っていたんですよね。そんな母親の言葉が、僕の中の父親像になっていた。
でも、散歩仲間が語る父親は違っていた。そのときに、僕の知っている父親は何だったのか、という疑問が湧いたんです。そこからです。家族の記憶をテーマにし始めたのは。
──そうして発表した作品が「Snowflakes Dog Man」ですね。
木村:はい。ただ、父親のことはその前から写真に撮っていました。というのも、僕が28歳のときに父親がガンになり、どんどんやせ細っていったんです。それを見て、「ああ、これは間違いなく死ぬな」と感じたので、父親が亡くなる前に写真を撮ろう、と。「Snowflakes Dog Man」はそのときの写真も含まれています。
──今は東京大空襲の記憶を蘇らせるというプロジェクトを進めています。
木村:東京大空襲から80年近くがたち、東京という街は大きく姿を変えています。ただ、再開発がだいぶ進みましたが、よくよく見れば、体験した人だけでなく、建物や木々など、いろいろと痕跡が残っているんですよね。そういう痕跡を探す旅をしています。
空中から赤外線カメラで地面を撮り、空襲のあった場所の“熱”を可視化するようなこともしています。
──実際に出羽島に滞在してもらうという無茶なプロジェクトでしたが、木村さんが面白がってくれたことで、こうして形にすることができました。改めて感謝いたします。
木村:こちらこそ。僕としてもとても貴重な体験でした。写真集は素晴らしい作品になると自信を持っていますので、ぜひ多くの方に手にとっていただきたいですね。
*現在、出羽島写真集の出版費用を集めるクラウドファンディングを実施しています。ぜひご協力いただければ幸いです。
◎消えつつある離島の記憶を残したい!写真集制作プロジェクトhttps://readyfor.jp/projects/tebajima